武市賢太郎ブログ
3月11日
震災から5年。
この間 人それぞれに、いろんな想いを抱えて生きてきたと思う。
僕がこの5年を経て思うことは、あの日を境に、”世の中が欺瞞に満ちたものに感じることが増えた”ということ。そして、そんな日本という国の息苦しさだ。
開示よりも隠蔽によって秩序を保つ政府。「がんばろう日本」「絆」などと嘯き、なんでもかんでも綺麗事でまとめるマスメディア。そしてそんな綺麗事に乗っかって生きる人々。マスメディアが標榜する ( 綺麗にパッケージされたような )表現が、個人のSNSなどにも羅列しているのを見ると、やれやれ・・・。と溜息が漏れてしまう。
「この日を忘れてはいけない」「復興・あなたはひとりじゃない」
こうした標語のような言葉が一人歩きし、人々が付和雷同する。
そして3月12日には忘れ去られる。
震災への想いや悲しみは人それぞれ違うだろうし、位置付けもそれぞれ違うと思う。地震によって大切なものを失い絶望の淵に立たされた人もいれば、そうじゃなかった人もいるだろう。それは、個々人に刻みつけられた物語だ。それを各々がそのまま表現しても良いはずなのに、どこか 腫れものに触るように当たり障りのない表現ばかりが並ぶ。現在の日本には「言論の自由」が実際的には無いのではないか。
僕は、人それぞれの想いが正直に綴られた文章にしか、本当の意味で価値があるものは無いと思っている。だって、「震災」という一つの出来事においても、関わった深さや角度、そして解釈はそれぞれに違うのだから。このようなブログを含めた個人的表現は、多かれ少なかれ後世に伝わるものだからこそ、物事に対してもっと多面的であって良いと思う。人それぞれの物語を、素直で自由に表現してこそ価値があるのではないだろうか?
というわけで、「空気読め」的な感じが強い日本という国が、ちょっと息苦しく感じる今日この頃。「これについて僕はこう思う」「私はそうは思わない」など皆がもっと自由に表現でき、かつ「あなたはそう思うんだね」と認め合える世の中であれば良いのにな、と思う。
この初沢亜利氏の写真集は、そんな世の中の風潮にちょっと嫌気が刺してしまっている人にオススメ。写真も付随の文章も、率直で迎合がなく それでいて深い人間理解と温かみがあって、とにかくすごいです。
本当に価値のある作品だと思います。
以下個人的な文章ですが、この機会に添付しておきます。震災当時の日記。(ちょっと添削したけど)
2011/4/15
震災当日のことをちょっと振り返ろうと思う。
地震はじまった時刻、ちょうど僕はお昼休憩でフレッシュネスバーガーでハンバーガーを食べていた。ベーコンチーズバーガーを注文し席に着く。5分ほど待ってテーブルに届けられる。一口だけ頬張った時にグラグラと揺れ初めたものだから、急いで食べなくては、と思い、地震の間ずっと食べていた。「逃げる」という意識より「食べる」が勝った。
食べ終わると同時くらいに揺れが治まった。外に出てみると、道端に人が溢れていた。「そんなにすごい事だったの?」と思ったが、責任を感じて急いでお店に戻った。
お店に戻ると、スタッフもお客様も地震の話題で盛り上がっている。
「凄かったね〜」「こんな地震初めて」
それぞれが思い思いにそんな話題に花を咲かせていた。
無事だった事にホッと胸をなでおろし、そのまま営業を続けた。しかし、のっぴきならぬ事態になっているとの情報が入ってくるにつれ、このまま営業を続けるわけにはいかなくなり、その日は早めに切り上げた。
しかし 電車が動いていない。家に帰ることができない。駅の周りには同じように帰れなくなった人々が溢れていた。家に電話をかけてみるが繋がらない。随分経ってからやっと繋がった。「お皿が全部落ちて、その破片が壁中に刺さって、めちゃくちゃになってしまったの」と言っていたが、無事が確認できホッとする。
しょうがないからその日はお店に泊まる事にした。結婚してからの毎日は、欠かすことなく律儀に家に帰っていたものだから、帰れなくなった事をどこか嬉しくも感じていた。
夜 ドンキホーテに立ち寄って電気コーナーでテレビニュースを見ていたら、今まで見たこともないような津波の映像が流れていて、思わず釘付けになった。スマトラの津波や9・11の映像のような衝撃的なものだった。自然の猛威に何もできない人々の映像は、さながらパニック映画のようだった。
その後、また町を歩いてみた。駅には帰れなくなった人々がそこかしこに座っていた。「小田原にこんなに人がいるのもおかしなものだな」と思った。
その日はそのままお店のソファで横になった。
横になりながら、これからどうなるんだろう・・・と考えた。しかし考えてみたところで何が変わるわけでは無い、と考え直し、読みかけだった小説の世界に入っていった。
地震は本当に悲惨なものだったが、悲しみが沸くことは無かった。人は関係する他者との間にストーリーが無ければ悲しみを感じる事も無いのかもしれない。
その日の僕は「このまま世界がめちゃくちゃになってしまえば良いのに」とさえ思った。
タナトス・・・。
そんな破滅的な欲動を抱いていることに自分でも少し戸惑いを感じたが、夜の暗闇がそんな心の内をすべてを包み隠してくれるから、そのまま眠りにつくことができた。