武市賢太郎ブログ
僕の仕事におけるアイデンティティ
美容師の仕事は、毎日たくさんのお客様との出会いに溢れています。たくさんの出会いがあり、たくさんの別れがあります。僕の仕事におけるアイデンティティは、そんなお客様との日々のコミュニケーションによって形成されてきた、と言っても過言ではありません。
今日はその中でも、僕にとってとても大切なエピソードを書こうと思います。
僕が美容師になった理由は、簡潔に言うとファッションやアートが好きだからです。学生の頃に美大を目指していたこともあって、美容師の仕事においても、必然的にアーティスティックなものを追求してきました。美容師を始めた当初、原宿という流行の最先端の街で仕事をしていましたし、「トニーアンドガイ」という業界でも権威的な美容室で働いていたこともあって、より一層そのような傾向が強かったと思います。
しかし一方で、お客様が求めるヘアスタイルは平凡なものが多い。アートや独創的ものを求めている人はほとんどいない。そのギャップになんとなくジレンマを感じていました。
「表現したいものはもっとあるし、もっと高度な技術も持っているのに、日々求められるものはなんでこんなにありきたりのものなんだろう」
そんな気持ちを抱えたまま毎日を過ごしていたのですが、ある時そんな僕の心情を、ひとりの親しいお客様に話したことがあります。白髪のショートボブがとてもよく似合う素敵なご婦人でした。
その問いに対し、ご婦人はこう答えてくれました。
「私はね、毎月ここに心の整理に来てるの。毎月ここに来て、武市さんとお話をして、髪を綺麗にケアすることは、私にとっては儀式的なことでもあるの」
「・・・・。」
その言葉は、僕が抱えていたジレンマを一瞬で吹き飛ばしてくれました。
そしてその日を境に、僕にとっての美容師の仕事とは「ヘアスタイルを通して心のケアをする」というものになり (正確にはそれを含むものになり)、今日に至るまでの仕事における大切なアイデンティティになっています。
そして、そんなアイデンティティを育む事ができたのは、そのご婦人と出会いであり、たくさんのお客様とのコミュニケーションがあったお陰だと、日々そう思いながら仕事をしています。
サティラヘアー
武市賢太郎
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この話をした時は知らなかったのですが、当時ご婦人は癌を患っていました。そして、亡くなる直前まで「心を整理する儀式」として、僕のところに髪を切りに通ってくれました。ファッションでもなくアートでもなく、「心の整理」こそが死にゆく彼女にとって必要な事であったし、僕が彼女に対しサポートできることでもあったのです。
美容師の仕事にそのような側面があることを教えていただき、その方の人生に最後まで関わらせていただいたことに、心から感謝しています。