武市賢太郎ブログ
《経過報告》
5月1日から体調不良のためサロンワークをお休みさせていただいております。
保存療法により首のヘルニアの激しい痛みはいくぶん治まってきたんですが、腕や手の痺れが残っており、また右手の握力の著しい低下がありますので、サロンワークに復帰するにはもう少し時間がかかりそうです。
お客様にはご迷惑おかけしますがご了承ください。
復帰の目処が立ちましたら、また報告いたします。
《宮崎にて》
久しぶりに宮崎の母のところに来ました。4年ぶりの再会は嬉しいものです。
子供のころは毎年祖父母に会いに来てたけれど、最近はめっきり足が遠のいていました。
宮崎というところは、空港を出ると、そこにはヤシの木やフェニックスの木など、南国の木々が街道を彩り、まるでリゾート地をおもわせます。しかし実際は沖縄ではないし、ましてやハワイではありません。気候も海も中途半端です。無理して南国を演出してみてるものの、どこか違和感を感じずにはいられません。マンゴー、日向夏、地鶏や冷汁などの食べ物だけが奮闘中、というところでしょうか。
あるいは自分自身を、身の丈以上の存在に見せようと虚勢を張ってみたが、どうも自分自身がしっくりきていない、という印象を受けます。とても教訓的な町です。
とはいえ、そこに流れている空気や人々の話す言葉は、とても穏やかでなんだかほっこりした気分になれます。
ところで昨日母と話をしていて、話題が祖父に及びました。
祖父は義眼でした。僕が子供の頃、彼が義眼を顔から取り外してそれを洗っている姿はとても異様に感じました。正直恐怖心すら覚えたものだけど、そこに至った理由までは知りませんでした。
聞くところによると、戦前、彼の家 (農家) で畑を耕すのに馬を使っていたらしく、若かりし頃、その馬に蹴られた事で目を失ったそうです。
そして、「馬の後ろには立つな」というのが彼の人生における格言となり、後世に言い残した言葉になったんだそうです。
なんだか興味深い。
目を失った事は悲劇だけれど、そのお陰で兵役を免れ、死なずに済んだ事も知りました。
ん??? って事は彼が馬に蹴られていなかったら、戦後母が生まれ、30年後僕が生まれる事もなかったのかも・・・。あるいは僕が僕として存在している事は、元を辿ると彼が馬に蹴られる事で成就したのかもしれない。と、なんとも感慨深く思いました。
バタフライエフェクトにしては強烈だけど、「人間万事塞翁が馬」とは正にこの事だ、としみじみ。僕の場合、「人間万事茂が馬」とでも申しましょうか・・・。
武市賢太郎
※茂は祖父の名前
※上、写真は母と姉家族